おいくつから太鼓を始められたのですか?
太鼓を始めたのは50歳のころですね。「倉吉打吹太鼓が創設されるからやってみならんか」と声がかかったのがきっかけです。当時太鼓に興味は全くなかったんですが、行ってみたら自分が一番年上で、いきなりまとめ役をすることになってしまいました。全くの初心者から始めたのですが、結局のめり込んでしまったんですねぇ。太鼓を通じて友人もたくさんでき、やめられなくなって、かれこれ25年以上太鼓をやってきました。
同じ頃、鳥取県和太鼓連盟も発足しました。その代表として、鳥取県文化振興財団主催の「鳥取県青少年郷土芸能の祭典」の開催時には第1回から実行委員もしてきました。開催に向けて県内のどこにどんな郷土芸能があるのか、職員さんと手探りで探し回るところから、子どもたちへの郷土芸能の伝承にも関わっていることになります。
子どもたちに指導される上で
大切にしておられることは?
これまでに10ほどの団体の子どもたちに太鼓を指導してきました。上手くできること失敗することよりも、まっすぐに向き合えることを大事にしています。太鼓を間違えずに打つのは二の次で、太鼓を通してなにを学ぶかが大切です。太鼓は自分だけが打てばよいのではありません。けんかしていたら音が全く合わないのですぐに分かりますからね。回りの人に気がつく、人の気持ちが分かる、人の恩が分かる、人のいいところが見える。そうやって初めて人は成長するんです。太鼓を教えながら、人として大事なこと、人との関わり方を伝えているのだと思います。信念を持って、仲間と一緒にやろうと思えば、これから先たいていのことは乗り越えていけますからね。長年子どもたちに指導する中でそういったことを考えるようになりました。私自身も太鼓を通して成長させてもらったと思っています。
太鼓・郷土芸能の魅力とは?
私が指導する際は、施設ごとに子どもたちと一緒にオリジナル曲を作っています。多数の団体をいっぺんに指導していると、頭の中がごっちゃになってしまうこともありますが、こうやって自由に打てるというのは太鼓のひとつの魅力です。
また、太鼓は夢を打つものだと思っています。今から十数年前でしょうか、琴浦町のある小学校の太鼓指導を行っているときですが、孫の太鼓を見るために、練習のたびに地域の方がたくさん集まってきてくださったことがあります。“太鼓に地域がもえた”と学校や地域の方も大変喜んでくださいました。夢があるところに人は集まるのですね。
子どもたちが将来太鼓するかどうかは自由ですが、してくれたら嬉しいなという思いはあります。私が教えた中で、高校生の頃の出会いから、社会人になって倉吉打吹太鼓に入り、私が結婚のお世話もし、私が引退するときには私物の太鼓をあげたという人がいます。自分の本当の孫ではありませんが、そういう“人の流れ・繋がり”が太鼓という郷土芸能を通じて生まれてきました。こうやって人と人とが関わり合って続いていくのが郷土芸能そのものだと今感じています。
現在も指導しておられる上灘児童館太鼓クラブの子どもたちと写した1枚が、ご自宅に大切に飾ってある。