打吹童子ばやしを始めたきっかけは?
お祭りが好きで、中学校の運動会でみつぼし踊り*のお囃子の太鼓に参加し、みんなの前で太鼓を打ちました。高校3年生の学園祭では、クラスの有志と組太鼓をし、この時に自分で作曲したのですが、これが指導者となったルーツかもしれませんね。その後、倉吉青年会議所で委員長を務めた際に青少年の「心のふるさと」育成事業を考え、打吹童子ばやしを始めました。
※:倉吉で踊り継がれている盆踊り。
毎年夏に開催される「倉吉打吹まつり」では大勢の市民が踊る。
打吹童子ばやしとは
小学1年生から6年生までの子どもの団体です。活動を開始して23年目の結団式をしたところです。23期メンバーは50名で活動します。倉吉打吹太鼓さんにご指導いただき活動を始めたので、打法は憧れの林英哲さんのものを受け継いでいると勝手に思っています。(笑)
倉吉には打吹山の天女伝説がありますが、数多くある天女伝説の中でも「天女が子どもに音楽を伝える」(諸説あり)という珍しい内容です。だからこそ、倉吉を象徴するこの伝説を参考に、子どもたちが太鼓を打ち、笛を吹くグループをつくろうと思いました。そして、ステージ上で演奏するよりも、お囃子のように奏者と観客との距離が近くなってほしい、一緒にわっしょいと騒ぎたいという想いから、童子ばやしにしました。
大きな転機は、「第4回鳥取県総合芸術文化祭 鳥取県青少年郷土芸能の祭典2006」ですね。当時、鳥取県文化振興財団より、「江戸時代後期に書かれた“南総里見八犬伝”という長編小説のモデルで、倉吉に縁のある“里見忠義公”をテーマとした楽曲を作りたい」とお話をいただきました。高校時代以来の作曲活動だったので、大変でしたね。当時は同級生とああしよう、こうしようと話が出来たのですが、今度は演奏するのが童子ばやしの子どもたちなので、余計に。
それまで童子ばやしのレパートリーは、山本喜三先生作曲、倉吉打吹太鼓奏者の会編曲の「打吹童子ばやし~天女と童子の物語~」でした。この曲は、上級生が下級生に指導することが出来ていたのですが新曲はそうはいかない。作曲中は深夜にドライブをしながらフレーズを探ったり、日常でふと思いついたらボイスレコーダーに録音する日々でした。こうして完成した「新・八犬伝 」(17分の組曲)を試行錯誤しながらも上演できたことは、とても大きな自信になりました。今では打吹童子ばやしのオリジナル曲は12曲になりました。
今年は、里見忠義公が倉吉に来た1614年から400年、南総里見八犬伝刊行開始1814年から200年という節目の年です。なにか運命を感じます。
子どもたち、打吹童子ばやしへの想い
「しつけをおしつけない」ということを意識しています。「靴をそろえなさい」「挨拶をしなさい」と指示を出すことは簡単ですが、「靴がきちんとならんでいると気持ちいいよね」「大きな声で挨拶すると気持ちいいね」ということを子ども自身に気付いてほしいんです。
それから、私たちの活動は、本当にたくさんの方に支えられて実現しています。太鼓の音は、喜怒哀楽の感情が素直に出ます。演奏会のサブタイトルでも使っていますが、“ありがとうを一打にこめて”、感謝の気持ちを太鼓に込めて演奏しています。
そして、童子ばやしは複数の小学校から子どもたちが集まっています。「学校はあんまり好きじゃないけれど、一緒に太鼓をたたく友達がいる童子ばやしは好き」という子もいます。中学、高校で再会した卒業生も多く、いい友人関係を築けているようで、童子ばやしが子どもたちのよりどころになっているのはとても嬉しいですね。
子どもたちは、頑張って褒められるからまた頑張れる、心がひとつになった演奏をする時のゾクゾクする感動を味わえるから続けてくれていると思います。太鼓を通して成長したねと互いに喜びたいので今日まで活動を続けることが出来ました。これからもお互いに刺激し合えるような場にしていきたいです。
天女伝説、里見伝説など、倉吉には素晴らしい財産があります。地域の未来を担う子どもも財産です。天女の残した「打つ」と「吹く」で、倉吉の素晴らしさを伝え、地域を元気にしていきたいと思います。
これからも応援、よろしくお願いします。