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May
2011 |
江戸時代に今の噺家(はなしか)の形が出来上がったといわれ、400年の歴史をもつ『落語』ですが、長い歴史にも係わらず、現代人の誰もが楽しめる気軽な古典芸能です。なぜ、『落語』は時代が変わっても楽しめるのか、その秘密を紹介します。 『落語』の登場人物は無名の人で、その人の私的な出来事を取り上げるため、歴史的事実とは切り離され、時代を特定しません。例えば『昔ばなし』は、「〜でした」「〜しました」という過去形で語られますが、『落語』は、「〜入ってまいります」「〜と閉まる」といった現在進行形で進みます。そのため、噺家は過去の終わってしまった出来事をお話しするのではなく、登場人物が同じ時代に生きている臨場感を表現できるのです。 『落語』の演目は300〜400もありますが、そのほとんどは江戸時代につくられました。そのため、現代のアレンジが随所に加えられています。例えば、お金の単位を「30両」→「3百万円」に変更する簡単なものから、話のポイントが「悪人vs不運な善人」という単純な構図から→「人間の欲望と良心の葛藤」と人間の内面を表現する内容に変わってしまったパターンまであります。どちらもその時代の観客に、より実感を持てるアレンジにしてあります。 『落語』は、観客が登場人物を自分に置き換えやすいよう、あえてドラマ性は捨て、誰もが身に覚えのあるような状況をネタにし、日常的に起こりうる些細なことだけを取り上げます。例えば、殺人や切腹などをモチーフにすると自分に置き換えにくく、観客は見物人になってしまうからでしょう。明日は我が身かもしれない登場人物を笑うということは、結局は、自分自身を笑っているということになります。『落語』の笑いが後をひくのも、ヒトゴトじゃないからでしょう。 |
『落語』には元々、タイトルがありませんでした。仲間内で、どのような噺をしたのかを伝えるために使っていた「だくだく」「肝つぶし」など噺を象徴するキーワードがそのままタイトルとして広まってしまったに過ぎません。そもそもお芝居の台本のようなものもなく、全ては噺家から噺家へ口伝えに伝わっていきます。その為、『落語』は噺家が変われば内容が変わり、当日のお客様の様子によっても変わるなど、厳密に同じ噺は二度と聴けません。噺家は、お客様全体の気をよみ、会場に「いかにもありそうな空間」を創り出し、その中にお客様を呼び込みます。このように『落語』はライブの中にだけ存在するものであり、“場”と“お客様”と“噺家”がいて初めて噺が完成します。そこにしか生まれない贅沢な機会を是非、味わってみてください。 |
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参考文献 「落語の聴き方楽しみ方」松本尚久(株式会社筑摩書房) 「落語論」堀井憲一郎(株式会社講談社) |
小さい頃からラジオの演芸番組が好きだったと父母が言っていましたので、そうだったんでしょう。私が小さい頃は、テレビが普及し始めた頃でしたから、ラジオは日常的に聞いていましたし、テレビも演芸番組がとても多かったんです。 あまり深い意味はないんですけど(笑)。「気象予報士」は、当時の最年少が高校生(今は中学生)だったので、自分も取れるかなと思って。「タップダンス」は、兄弟子の桂南光(かつらなんこう)さんとミュージカル映画をみたら、影響された南光さんが「タップダンスを習いに行こう」って言いだして。でも、タップダンスって、モダンバレエとかの基礎が無いと無理なんですよね。最終的には、スポーツジムに行く感覚で通ってました。 落語はイメージの世界なので、知的な遊びです。落語家とお客様の協働でイメージを作り上げていきます。現代はビジュアル重視なので、どうしても想像力が落ちてきますので、たまにはイメージで遊んでみるのもいいですよ。落語は、若い人のコントみたいに瞬間的に笑うということではありませんが、温泉のように入ってみると、ほっこりしていいものです。入るまでに勇気が必要かもしれませんが、入ってみるとゆったりして誰でも楽しめます。難しいことは考えず、まずは気楽に笑いに来てください。 |