モーツァルトの最初の作品(※1)は、彼の即興演奏を聴いた父レオポルトが、《ナンネルの楽譜帳》の余白に書き込んだものです。
モーツァルト自身が一人で楽譜を書いた最初の作品は、彼が8歳の年(1764年作 推定)に作曲したメヌエット(※2)です。この曲は以前、1曲のメヌエットとしてケッヘルの初版では「K.1」の番号を与えられていましたが、その後の研究で別々の作であると推測されるようになりました。
父レオポルトが書き込んだ5歳の作品と、モーツァルト自身が書いた8歳の作品のどちらが「記念すべき第一作」なのか、あなたならどちらをそれと認めますか?
※1) 《クラヴィーア独奏のためのアレグロ ハ長調 》
※2) 《クラヴィーア独奏のためのメヌエット ト長調 K.1e 》《メヌエット ハ長調 K.1f 》
モーツァルト最後の作品といえば、おそらく誰もが作曲者の死によって未完に終った《レクイエムK.626》とこたえるでしょう〔〈ラクリモーザ(涙の日)〉で絶筆〕。しかし、未完のものを作品と呼ぶかは判断が分かれるところだと思います。
なお、最後に完成させた作品は『自作品目録』の最後に記載された曲です。
モーツァルトは他にも仕事を抱えていて、未完の曲は《レクイエム》だけでなく、「第1番」と知られる《ホルン協奏曲ニ長調K.412》もその一つと推測されています。
《レクイエムK.626》《ホルン協奏曲ニ長調K.412》共に、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーによって完成された作品です。
交響曲第九番は、ベートーヴェン晩年の1824年に完成した最後の交響曲で、最大の特徴は、合唱を取り入れているところです。そもそも声楽と交響曲は交わらないものと長年考えられてきましたが、ベートーヴェンによって一般的な形に仕上げられました。
第一楽章の冒頭ではテレビCMなどでも使用されるフレーズが提示され、反復演奏によって内容がどんどんと膨らんでいきます。第九は、第一楽章からクライマックスとなる「歓喜の歌」への伏線が張り巡らされていくという、計算された構成になっています。弦楽器の軽やかで心地よい音の重ね方や、管楽器によるメロディの盛り上げ方など、まさにベートーヴェンの作風の集大成であるといえます。「歓喜の歌」自体は単品でも十分に素晴らしい楽曲であるといえますが、時間を掛けて第一楽章から通しで聴くことでその魅力は何倍にも高まるのです。
2006年に『バルトの楽園』という映画が公開されましたが、この映画のストーリーの主軸におかれているのが、ベートーヴェンの代表作、交響曲第九番です。
日本において、第九が初演奏されたのは第一次世界大戦真っ只中の1918年のことです。当時の日本軍は、ドイツが押さえていた青島を攻略し5000人近くのドイツ人兵士を捕虜としました。そのうちの1000名が現在の徳島県鳴門市に作られた「坂東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)」に送られ、終戦までを過ごしました。この収容所の所長を務めた松江豊寿(まつえとよひさ)は人道に則った扱いを行い、現地の住民とドイツ人の間の交流を促進させたのです。後にスイスに移されたドイツ人捕虜たちは「松江ほど素晴らしい捕虜収容所の所長はいない」と評しています。この時、ドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラによって1918年6月1日に、日本で初めての第九演奏が行われ、このエピソードが、前述の映画『バルトの楽園』の元になっています。
交流を深めた友人や不滅の恋人の存在、音楽と難聴を通して生きていることの素晴らしさを知っているベートーヴェンは「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」を第九にこめたのです。だからこそ、200年近くも人々に受け継がれる不滅の音楽となったのではないでしょうか。
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