2007年11月 |
近年、和太鼓、三味線、落語、いろいろな和のエンターテインメントが脚光を浴びてきました。 しかしそれ以外にも、まだ日本伝統芸能の分野は多岐に渡っています。「浪曲」もその一つですが、「旅、行けば〜」のフレーズで有名でも、耳にすることは少ないと思います。しかしこの「浪曲」、落語の様な語りに、歌と三味線がくっついただけではありません。奥深いその世界、実は「平成」の現代にも脈々と進化を遂げているのです。 |
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明治21年に芝居小屋として建設された「朝日座」は、米子で最も古い劇場で、昭和29年くらいまで数々の演芸を上演してきました。川上音二郎・貞奴、エンタツ・アチャコ、淡谷のり子等の多くのスターも舞台に立ち、人形浄瑠璃、浪曲、歌舞伎等、多彩なジャンルのものが行われました。 終戦の翌年、昭和21年に浪曲界のスター、広沢虎造が出演するなど、戦後、浪曲は毎年開催され、朝日座には欠かせない演目であったと言えます。 (主な出演者、催し) |
戦後、娯楽の多様化で一時期衰退しましたが、現在、春野百合子等のベテランに加え、菊地まどか、春野恵子など若手女性の活躍も注目されています。また、国本武春の様に、現代に合う独自の新しいスタイルの浪曲が人気を得ています。 現在、浪曲の定席としては、東京・浅草「木馬亭」、大阪・天王寺「一心寺南会所」があり、ひと月のうち3日〜10日程度、上演されています。 |
江戸時代・1701年(元禄14年)3月に江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野内匠頭が高家肝煎・吉良上野介を斬りつけた刃傷沙汰に端を発する。加害者とされた浅野は切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不満とする大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士)による、元禄15年12月の本所・吉良邸への討ち入り、その後の浪士たちの切腹までを題材にとった物語。江戸時代から人形浄瑠璃や歌舞伎での人気演目で、浪曲でも数多く上演されています。 特に、国本武春の大忠臣蔵では、「田村邸の別れ」はバラード調で、「吉良邸討ち入り」はロックのリズムに乗り、音楽と浪曲の新しい融合が、幅広い年代に支持されています。 |
参考文献●「浪花節」「忠臣蔵」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2007年10月8日、10日 ●「実録浪曲史」唯二郎(東邦書房) ●「朝日座残照」亀尾八洲雄 ●「上方芸能165号」
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